旧海軍第三火薬廠朝来工場砲煩谷22工場

舞鶴市朝来岡安 昭和17年

昭和17年、拡大する日中戦争による火薬の需要に応えるため、

舞鶴市の朝来地区一帯に広大な火薬工場を建設しました。

それが、旧海軍第三火薬廠朝来工場です。

その敷地は西は現・日本板硝子工場、東は舞鶴高専東の山中に至る

約600万uというとてつもなく広大なもので、建設に当たっては

当地の集落や田畑用地を買収して行われました。

 

第三火薬廠は終戦と同時に機能を停止し、麓の平地にある敷地は

工場や公園などに利用されて行きましたが、山中にあった建物は

当時のままの状態で放置され廃墟と化しています。

この廃墟は砲煩谷22と呼ばれた工場で、砲弾等の炸薬を成型する工場でした。

鉄筋コンクリート製の建物で、3棟ほどが集まり、

ここの他にも数棟残っています。

 

内部はかなり広く、コンクリートの壁も

しっかりとしたつくりになっています。

 

 

 

 

 

当時のダクトと思われる鉄の配管も残されてます。

 

 

 

 

 

 

60年以上放置されているとは思えないほど内部はしっかりと残され、

木製の窓枠や扉も壊れているとはいえ、当時のまま残されています。

建物の片面のみ木製の窓や壁になっているのは、

万が一爆発事故が起きた時に爆風を一方向に逃すためです。

青葉山ろく公園内には、火薬成型工場の建物が残っています。

参照サイト

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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