JR石原駅・跨線橋
福知山市石原 明治後期〜末期頃
福知山駅の一つ京都方面にある小さな無人駅ですが、
そこの跨線橋を支える柱が古い鋳鉄製のものになってます。
柱には銘文等がありませんでしたが、他の類例と比べると
デザインなどが明治後期の類例のものと複数一致しているため、
明治後期〜末期頃のものと思われます。
跨線橋の内部。鉄骨トラスの組み方もリベット打ちの
古い造りです。上写真の橋の階段の下部にある鉄骨には
ダブルレーシングという格子状の鉄骨組みがあり、
それにもリベット打ちされている古いタイプのものです。
跨線橋の鋳鉄柱のアップの画像。
明治後期〜末期の時期の鋳鉄柱や跨線橋の造りは
どこの駅のものもかなり酷似しています。
一定の規格化がされていたのかもしれません。
跨線橋の上がり口にも同様の鋳鉄柱がかつては存在し、
そこに銘文があった可能性がありますが、その部分の
鋳鉄柱のみ失われていますので、残念ながら正確な製造年を
確認することは出来ませんでした。
「但馬の近代化遺産」のべねさんが、古い跨線橋についてまとめていただきました。
八鹿駅には福知山駅にあった跨線橋が移築され使用されているそうです。
こちらをご覧下さい。
*その、べねさんからのご指摘により、開業当時から存在したものではなく、後に別の駅から移設されてきたものである
可能性のほうが高いという結論になりました。開業当時の小さな駅は、跨線橋などなく、ホームも一つか
直接線路を渡って移動していた状態であり、このような立派な跨線橋は都市の中心となる駅くらいにしか
設置されていなかったようです。この石原駅の跨線橋をあらためて観察すると、跨線橋自体の鉄骨の骨組みや
鋳鉄柱は古い明治期のもののようですが、鋳鉄柱の基礎はコンクリートで、やはり後の時代に別の駅から
移築されたようです。銘文などはなく詳細はわかりませんが、台帳があれば詳しいことはわかるかもしれません。